2024年12月1日 中村勝子さんのお話
6人兄弟の末っ子で甘えたい放題だったが12月8日の開戦の日に両親から『もう泣いてはダメ』と言われたこと、そして戦争が始まって小学生で疎開の体験、食べるものがなくてタンポポや草を食べて飢えを凌いだこと、そんな時に奇跡的に鶏の卵を食べることができたことなど貴重な実体験をお話してくださいました。
また、弁当箱を抱えたまま原爆で亡くなった中学1年生のしげる君のお話『真っ黒なお弁当』の絵本を紹介し、戦争の悲惨さを伝えてくださいました。
中村さんは幼稚園教諭、副園長として勤務した後ドイツに渡り、シュタイナー教育を学んだそうです。その学びを活かした教育を80代後半の今も続けていらっしゃいます。
たまたま中村さんが家にきてくださった時にルバーブの収穫をしていたら、戦後のシラミ退治に使われたDDTの酸味を思いだすのでルバーブは食べられないと言うお話をされて、そこから戦争体験をお話してもらうことになりました。
昭和から令和へ激動の時代を生きてきた方のお話しはとても心に響きました。これからも語り続けてほしいです。


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